雑草という名の草はない
本格的に梅雨入りし、雨水を蓄えて草木が元気に育つ季節となりました。毎年、自坊が配っているカレンダーの六月の法語を紹介します。
ダンゴ虫には日傘なんだ
雑草と決めつけていたが
六月に入った今日この頃、田んぼや道の端などに草がたくさん生えてきているのをよく見かけます。私たちはそれを「役に立たない草」と決めつけ、雑草とよんでいますが、ダンゴムシにとってそれは自分のことを涼ませてくれる「役にたつ草」なのだということを教えてくださる言葉です。私たちが人やものを自分の都合によって「役にたつ」、「役に立たない」と分ける心を仏教では分別心といいます。このものごとを分別する心によって相手を傷つけ、そして自分自身も傷つけられているのが私たちではないでしょうか。
仏教の教えは、聞けば聞くほど自分の姿が見えてくる教えです。
これから各地のお寺で夏の法要が行われます。自分、世間の価値観を一度横に置いて仏さまの教えを聞いてみませんか。
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親の想い、仏様の想い
5月第2日曜日の今日、5月12日は母の日ですね。来月には父の日もあります。どちらも親に感謝する日となっています。
さて、仏教では仏様の心を親の心に喩えられることがあります。常に子どものことを心配していて、常に見守っているやさしさ。
皆さんの親はやさしかったでしょうか?叱られたり、干渉してくる親がうっとうしく感じることもあります。「もう、ほっといて!」と親子喧嘩になった経験も多くの方が持っているのではないでしょうか?それでも親は放っておいてくれません。放っておくふりをしていても気にかけて遠くから見守っています。
仏様とは、私を取り巻く世界のことです。思い通りにならないことがあったり、どんなに一人で生きていこうと思っても、どんなに孤独を感じていても必ず関わってきます。思い通りにならないのも愛情あってのこと、そして決して見捨てない、離れない。
親の想いも仏様の想いも気づいてなかったり、突っぱねていることもよくあるでしょう。それでも注ぎ続けられている愛情に日頃は気づけていなくても時には目を向けて感謝する、大切なことですね。
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お花見
今年は桜の開花が遅く、例年ですと三月の後半には咲き始めて、入学式が行われる四月には殆ど散ってしまい、入学式前におろしたての制服とランドセルを背負って前撮りする光景を見ることが多かったのですが、今年は入学式後に家族で桜の前で記念写真を撮りそのままお花見をされる方々をよく見かけました。
自坊にも樹齢六十年の桜の老木があり半分朽ちて枯れている部分がありますが、それでも毎年花を咲かしてくれて、その花を見ながらお花見をするのが恒例行事になっていました。しかし今年はなかなか蕾が膨らまず開花するのか心配しながら観察していましたが、去年より一週間遅れで無事に咲き始めて例年通り御門徒さん方とお花見を楽しむことが出来ました。
一昨年の自坊の春季永代経で講師の先生がお話しになった言葉で「花咲かす 見えぬ力を 春という 人となす 見えぬ力を 仏という」言葉をしみじみと感じるながらいつもと違った感覚で春の訪れを感じることが出来ました。
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法要を終えて
私事になりますが3月10日、自坊の本堂修復円成法要と住職継職法要を行いました。本来なら4年前に行う予定だったんですが新型コロナウイルスの流行により延期しておりました。当日は和鳴会メンバーを中心に雅楽、四箇法要と言う最高の法要を行いました。四箇法要は先にお浄土に還った僧侶としての師匠が節に願っていた法要形式だったので会員に無理を言って行ってもらいました。皆さんの努力で最高の法要が出来ました。
4年と言う月日は本当に長く今回の本堂改修工事などに関わってくださった、寺の役員5人の方が亡くなりました、法要中皆さんが笑顔で「良かったね。」と言ってくれているように思えて仕方無かったです。
本当に今回の法要に関わった人皆さんには感謝しかありません、本当にありがとうごさいました。
最後に法要を見る事無く2年前に亡くなった父にとりあえず終わったよ!ご門徒さん皆喜んでたよ!て報告したいと思います。
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聖徳太子
推古天皇30年(622)2月22日は聖徳太子のご命日と伝えられています。
宗祖・親鸞聖人は聖徳太子を「和国の教主(日本のお釈迦さま)」と敬われており、聖徳太子に関する多くの和讃を残されています。また、正嘉元年(1257)、聖徳太子の伝記を記した『上宮太子御記』という書物を書写しています。
その中には、磯長にある聖徳太子廟に太子自身が書き残したとされる「廟崛偈」が収められています。(「廟崛偈」の一部を抜粋した、「三骨一廟文」といわれる親鸞聖人の真蹟も現存しています。)
大慈大悲本誓願 (大慈大悲の本誓願は)
愍念衆生如一子 (衆生を一子のごとく愍念す)
是故方便従西方 (是の故に方便して西方より)
誕生片州興正法 (片州に誕生して正法を興ず)
廟崛偈に興正という文字がでてきますが、江戸時代の興正寺では、聖徳太子の偈文から興正寺の寺号をつけたと説かれていました。
廟崛偈に声明の節を付けて「大悲段」という曲を作成し、多くの功績とともに仏教興隆にも尽力されたご生涯を振り返りながら、ご遺徳をお偲ぶ法要にもちいていました。
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