入院とオリンピックと雅楽と。
個人的な事で大変恐縮ですが、7月は三日間の治療入院を2回しておりました。網膜に炎症が起こり、ものが歪んで見え、その治療の為にステロイドを多量に点滴するというものでした。お陰様で歪みはスッキリ消えましたが、副作用として著しく免疫力が下がるというので、退院した後は自粛生活の様を呈していました。
そんな中、始まった東京オリンピックが、心に張り合いをくれました。無観客開催が決定しましたが、開会式では聖火の最終ランナーが大坂ナオミさんだったことも、個人的には良かったと思いましたし、ドローンにも驚かされました。また、柔道から始まったメダルラッシュも気持ちが沸き立つものがありました。このまま、無事に閉会を迎えられればと思いながら、応援に力が入る日々を送っています。
さて、前回の1964年の東京オリンピックでは、聖火最終ランナーは坂井義則さんでした。その坂井さんが聖火台まで駆け上がった階段の両側に、大きな楽太鼓が設置されていたのを記録映像で見たことがありました。当時の海外から来た選手に雅楽がどのように聞こえただろうかと、一人、想像を膨らませていました。
私達、和鳴会の活動は、世界中の人とまでは言えませんが、身近な人からでも雅楽の魅力を伝えたい。そのような思いで演奏会やコンサート、学校等での活動を行ってまいりました。
コロナ禍で思うような活動が難しくなっておりますが、活動再開のときの為、これからも地道に練習を続けていきたいと思います。
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教科書に
先日、中学校に通う子供の教科書を何気なく見ていたら、音楽の教科書に雅楽が載っていました。
様々な学校からの依頼で何度か演奏に行く中、学校の授業で雅楽を教えているのだろうなとは思っていましたが、実際に見る機会もなく、今回初めて教科書を目にしてみると、結構詳しく説明されていて、授業でも時間を取って勉強しているということに驚きました。
自分が学生の頃の感覚で、学生たちは雅楽という昔からの音楽があり、そんなに理解も知識もない中、一つのイベントとして聞きに来ているのだろうと思っていましたが、授業でしっかりと学習した上で、演奏会に参加しているということが分かり、きちんとした演奏を聴かせなければという意識がこれまで以上に強くなりました。
これからも多くの人に雅楽に触れていただけるような活動をしていければと思います。
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無観客!
5月の連休も終わり例年より少し早い梅雨がやってきました。
先日近隣の小学校の運動会が無観客で行われました。私の子どもが通う小学校は延期になりましたが、後日開催されることになっても無観客になる模様です。
まだまだ先が見えないコロナ渦の世の中ですが、オリンピックをはじめ、プロスポーツ、コンサートをはじめとする、エンターテイメント界は最大の感染予防をして、何とか人を入れての興行を行おうとしているようです。
色々な事情があると思いますが、人に披露することのために努力もできると思われますし、力を発揮することができると思います。早く多くの人が集ってそれぞれが努力してきたことを披露できる世の中になる事を念じるばかりです。
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また開催できる日を目指して、おめでたい曲を練習中!
先々月から萬歳楽(まんざいらく)を練習しております。この萬歳楽の由来は諸説ありますが、左方四人平舞で古来より皇室では天皇の即位に用いられるように祝い事によく演奏されるめでたい曲です。
舞人をされる方も大変です。身につける装束はなんと十点もあります。はじめに左方の襲(かさね)装束を着ます。下襲(したがさね)・半臂(はんぴ)・忘緒(わすれお)・表袴(おもてばかま)・赤大口(あかおおくち)・鳥甲(とりかぶと)・踏懸(ふがけ)・絲鞋(しかい)・金帯(きんたい)の順につけていきます。
和鳴会でも数年前に二人舞ではありましたが演奏会で披露しました。
またいつか再開の目処がたったら開催する定期演奏会に向けて予定していた今月の練習も県内が新型コロナの感染拡大防止集中対策期のため様子をみて中止となりました。ですので再開のためにも自宅で自主練です。
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桜の季節に想う
2月の凍えるような寒さから3月は毎日暖かい穏やかな日が続いております。
春がきたんだなと思い日々生活していると、ふと境内の桜の木が目に止まります。
この桜を見ると、ある言葉を思います。
明日ありと 思う心の あだ桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは
この言葉は親鸞聖人が九歳で得度を受ける際に詠ったと伝えられています。
聖人が僧侶として生きることを願って比叡山の青蓮院を訪れた際、夜遅かった為に慈円僧正から「夜も遅く疲れているだろうから得度式は明日にしてはどうか」と促されました。しかし、親鸞聖人は命について「明日がある」と思い込むことを、いつなんどき散ってしまうかもわからない桜に譬え、夜に嵐が吹けばどんなに満開の桜でも散ってしまうと歌にしました。私達の命は桜に喩えられるように、非常に不安定な存在です。
明日にしようでは、遅いかも知れません。
今出来ることを一生懸命する。後悔のないように生きる改めて考えさせられる言葉です。